イスラエルの北西部、地中海に面した町アクル(アッコ)は、複雑な海岸線と深い海という、港としての好条件を備えている。前二〇〇〇年には、すでに港湾都市となっていたと伝えられる。旧約聖書にもその名があり、ヘブライ語で「アッカ」、アラビア語では「アッカー」と呼ばれてきた。古代ローマ時代にキリスト教化し、貿易の拠点として、また軍港としても活用されていたが、アクルが最盛期を迎えたのは十字軍遠征の時代(一二〜一三世紀)である。
[参考情報]
リッチモンドホテルプレミア仙台駅前 - じゃらんnet
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湯瀬温泉の温泉・露天風呂のある宿・ホテル - じゃらん温泉ガイド
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三井ガーデンホテル札幌 - じゃらんnet
http://www.jalan.net/yad378516/
キリスト教徒は、聖地エルサレムが一〇七一年にトルコ系のセルジューク朝(一〇三八〜一一九四)によって占領されたことから、これを奪還することを目的として、以後二世紀に及ぶ十字軍の遠征を開始した。一〇九九年、キリスト教徒は聖地を占領し、キリスト教国のエルサレム王国(一〇九九〜一二九一)を建てる。エルサレム王ボードワンは、一一〇四年までにアクルを占領すると、そこでの十字軍兵士や巡礼者の保護をヨハネ騎士団(第一回十字軍で聖地守護のために結成。傷病人の治療も行なう)に委ねた。こうしてアクルは、ヨーロッパとエルサレム王国を結ぶ拠点となったのである。アクルでは、イタリアの都市国家との通商も盛んに行なわれ、人口は六万を擁するようになった。十字軍は、聖地を奪還してもそこに入植する者が少なかったため、結局は維持できないことが多かったが、アクルは例外だった。ところがエルサレム王のギーは、一一八七年にイスラムの英雄サラディンとイスラエル北部のヒッティーンで戦い、敗北して捕虜となる。これをきっかけに、同年七月にアクルはイスラム勢力の手に落ち、一〇月にはエルサレムも陥落する。こうしてエルサレム王国は一度滅亡する。